入院生活


入院してすぐ金の問題が出てきた。
検査やら入院費やらでべらぼうに金がかかるのだ。

4日程で専門医がいる別の病院へ転院となったのだが、たったその間だけで7万を越える請求がきた。

まずい。非常にまずい。いつ退院できるかもわからず、俺はさすがに途方にくれた。

しかし、金の問題は思わぬ形で解決した。

あるある大事典という後に捏造問題で姿を消すテレビ番組で、高額医療費に関する特集が組まれたのだった。
たまたまそれを見た嫁が、それを元に色々聞いて回ったところ俺の病気は医療費が一切かからなくなる特定疾患というやつだということがわかった。こういうのは何故か病院側からは教えてくれない。
それに高額医療費返還制度とかいうのがあって、うちの場合は医療費が月七万を越える分は後々返ってくるらしいのだ。
これも自分から申請しないと駄目。役所は一切教えてくれない。嫌な国だよここは。

そして入院したら保険料が入るから実質働いてるのと変わらない位のお金が退院後に貰える。
その後、祖母や親からの援助、入院してる間も変わらず給料を払い続けてくれたオーナーのお陰で、金の不安はなくなった。

俺が転院した先はガン病棟だった。もう最悪。

俺以外で若い奴なんか一人も居なかった。ボケてる老人ばっか。

飯の時に全部リバースしちゃったり、トイレに行けないからベッドの隣に置いてある簡易トイレで誰かが用を足す度に部屋中に匂いが充満したり、夜中いきなりお経唱え始める婆さんとか、もうほんと有り得なくて帰りたかった。

転院してすぐ、その病棟のロビーでぼへーっとしていたらおばさんが喋りかけてきた。

「あなたみたいな若い人はいいわね。病気になったってきっとすぐ治っちゃうんでしょうね。いいわねぇ。」

いきなり話し掛けられて、しかもひがまれた。なんて返事していいかわからず戸惑っていると、近くにいるじいさんがキレた。

「あんたねぇ!ここにいるって事はまだ若いのに私らと同じような病気になっちゃってるって事でしょうが!私らなんかよりこの人の方がずっとかわいそうなんだよ!」

なんか、助けて貰ったのかどうなのかよくわからん。俺は会釈して病室へ戻った。この頃はもうただただ無気力だった。

入ってすぐ仲良くなった同室のじいさんは、痛みを和らげる為のモルヒネで徐々に自分を失っていき最期の方は全く会話ができなくなった。家族の最期は家でという意向で、その状態で退院していった。暫くして奥さんがお礼を言いにきた。最期に楽しい思い出を作って頂いてありがとうと。じいさんは家に帰って3日後に亡くなったそうだ。
やるせなかった。そんなことが何回か続き、俺は病室の人と仲良くするのをやめた。

毎日毎日検査が続く日々。この病気になった原因をありとあらゆる検査で探す毎日。

今までバリバリ働いてた俺には考えられない生活だった。1日が異常に長い。全くやることがない。

寝たきりの生活で、じきに自分の力で歩けなくなった俺は忌み嫌っていた簡易トイレのお世話になることになった。情けないやら恥ずかしいやらでかなり落ち込んだ。

そんな中、沢山の仲間がお見舞いに来てくれた。かなりの励みになった。皆、俺の余りの変わりっぷりに驚いていた。カレーを差し入れに持ってきてくれたりと楽しませてくれた。コンビーフの缶詰め持ってきた人もいた。どうしろと(笑)

仲間の支えで折れそうになった心はなんとか持ちこたえ、パルス治療というステロイドを直接体の中に点滴で流し込む治療のお陰で、体の変形はみるみる治っていった。膝はぽきぽきいわなくなり、掌はしっかり開けるようになった。

しかし、副作用が凄かった。抜け毛が有り得ない。食べても食べてもお腹が減る。顔がどんどんむくんでいく。

入院前とは全く違う顔になった頃、週末1日だけの一時帰宅が許された。

桜が満開だった筈の通りは、新緑が生い茂る生き生きとした通りへと変わっていた。太陽が眩しかったけど、生きているって実感が湧いた。

少し歩くと息が切れる。

久し振りの家族との食事は何よりも幸せな時間だった。まだ産まれて間もない下の娘は、少し見ない間に確実に成長していた。上の娘も会話の内容が成長を物語っていた。
少し見ない間にこんなにも成長するもんなのか。人間ってすげぇな。

しかし、入院生活で弱った体には普通の生活はまだまだ無理だったようだ。1日家に泊まりまたすぐ病院に戻った俺は、改めて病院の造りの素晴らしさを実感した。バリアフリーは大切だ。

その帰宅で自分にはまだまだ病院生活が必要だということがわかりとりあえずまたしっかりと歩けるようになろうと、俺はリハビリ室に通うようになった。
顔や腹や肩は副作用でまんまるなのに、足や手はマッチ棒のように細い。
筋肉をつけないとと頑張ってみたが、初日スクワットを10回やっただけで見事に貧血を起こした。想像以上に体は弱っていた。


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