発病




何人かの従業員が入っては辞めていくのを繰り返しながらも、個室ヘルス店はまぁまぁの売上をあげていた。俺を誘った後輩もいつの間にか居なくなっていた。

オーナーは色々な仕事に手を出したい人で、俺はそれも手伝ったりしていた。

そんな折、風俗とはまるで関係のない普通のお店の店長を掛け持ちでやっていると、幼なじみがその店のすぐ近くに住んでいる事がわかった。

幼なじみは怪しい宝石商をやっていた。二束三文の宝石を、電話やキャッチで捕まえた客にうん十万で売る仕事だ。

俺は幼なじみをうちの風俗店に誘った。店長職掛け持ちはさすがにきつかった。朝9時に家を出て、朝5時に家に帰ってくるこの状態を打破するには、こいつに店長をやってもらうしかない。

「お前、うちはまぁ風俗店だからあんまりいい仕事とは言えないけどさ。でも今のお前の仕事よりはいいと思うぞ。」

こう言うとそいつは考えたようで、しばらく経ってそいつはうちで働くようになった。

しかし、かなりの誤算があった。

こいつ驚異的に仕事が出来ない。客商売に基本的に向いてない。客の前でもボソボソと何を言ってるかわからない。
仕方ないから雑用に回した。
しかし、ここでも誤算があった。
こいつ、掃除が驚異的にできない。わざとやってんのかってくらいできない。

急ぎで両替に行かせた時の話。
急いでんのになかなか帰って来ない。
近所のパチンコ屋に両替行けば五分もあれば戻ってこれる筈なのに。

一時間近くして戻って来た彼は、

「すいません、一万円貸して下さい。」

と帰ってくるなり言った。

「は?てかお前、両替に渡した一万は?」

「いや、あ、その…負けました。



まぁそんな彼のお茶目っぷりと激務が重なった俺は、日に日にどんどん体重が落ちていった。身長170で体重が45キロ近くまで落ちた。ガーリガーリクガーリガーリークガーリガーリクン。

なんだか歩いていると膝がポキポキいうようになったから、こりゃおかしいと近くの整形外科に通ってはみたが、ここが稀代のヤブドクターだった。

「うーん、若いけどこれは悪性リウマチじゃないかなぁ。」

という医師の言うことを疑う事もなく、医師が薦める患部を電流で暖める治療を、忙しい合間を縫って数ヶ月続けた。

体調は悪くなる一方だった。

手に力が入らなくなり、朝起き上がるときも自分の力だけでは起き上がれない。
ご飯を食べても、飲み込む力が出ない。味噌汁とかで流し込まないと入っていかないし、入ったところで気管に入りむせてしまう。
仕方なく充実野菜だけをを飲む生活に切り換えたが、ゆっくり飲まないとやっぱりむせるし、あんなもん栄養は取れた気はするが、ほとんど吸収されないから体力はどんどん落ちていく。


使えない部下に成り下がってしまったかつての幼なじみには困らされっぱなしだったが、年中無休の二つの仕事は順調に忙しく、自分のバーもやりながらの日々は充実感とは逆にどんどん身体を追い詰めていった。

休みの前の日、仕事から帰ってきて寝て起きたらもう次の仕事の出勤の時間だったっていう事もザラにあった。

ポキポキなる膝を改めて見て驚いた。明らかに左右で形が違う。見間違えているとかそういうレベルではなく、膝じゃない形のモノが俺の膝の役割を果たしていた。
驚いた俺は、姿見の前に立ってみた。

忙しくて自分の身体を見たのなんかどれくらいぶりだろうか。俺の記憶にあった身体はそこにはなかった。
ガリガリに痩せた身体。
身体中の変形した関節。
しかし変形していたのは膝だけじゃなかった。
赤い斑点が身体中に出来ていて、所々皮膚が剥げている。

常日頃従業員に、

「熱が出た位で仕事休むんじゃねぇよ!」

と、鬼上司っぷりを発揮していた俺は実は40度を越える熱がもう一週間も続いていたが、鬼である手前一切休んだりはしなかった。

暫くして、身体にまた新たな変化が現れた。
掌が普段の三分の一位しか開かなくなってしまったのだ。

何これ。

これには困った。滅茶苦茶生活に支障がでる。てか自分の手なのに気持ち悪い。

変形を始めた手はあっという間に悪化していき、シェーカーを握れなくなるまでさほど時間はかからなかった。

振っても掌の感覚がわからない。力が入らないからシェーカーが飛んでいく。

ボトルのキャップを開ける事すらできなくなった俺は、悩んだ末店を畳んだ。100%の力を出せないのにお客さんから金なんか貰えない。

それまで仕事に関しては順調だった俺が味わった初めての挫折だった。開店からぴったり一年でBAR GOOD SPEEDはなくなってしまった。

そんな折、小さい頃よく面倒をみてくれていたおばさんがはるばる静岡から泊まりにきた。おばさんの強い薦めで、俺はちょっと大きい病院へ行った。

大きい病院は新患は朝六時から予約をしないと診て貰えない。
朝の四時まで仕事して、六時に受付、九時まで駐車場で寝ていた。

症状をとりあえず問診票に書いて、採血。診察自体は昼過ぎだったがこっからは早かった。

いきなり順番をすっ飛ばされて医者の元へ車椅子で連れていかれる。今までの対応との余りの違いに驚きながら流れに身を任せる。もう一度採血をしたり、レントゲンを撮ったりしたりとかなり忙しくなった。

検査結果がでる迄の間、医者に呼ばれて話をされた。

開口一番、

「ご家族の方は?」

と聞かれる。

ここまで対応が変わるとさすがに、こりゃただ事じゃねぇんじゃねぇかな、って気になる。

そして検査結果が出た。

即入院と。

俺はそれまでおっきい病気なんかしたことなかったから、病気で入院なんか考えられなかったし、確かに体は変だけどまぁ疲れがたまってるだけだろうと思っていた。

「あなたは膠原病という病気です。」

と言われたが、ん?高原病?なんだそりゃ?って感じだった。膠原病の場合は病名が確定するまで結構かかるのがほとんどなんだが、俺はその日のうちにわかってしまうくらい病気はすすんでいた。

入院とか言われてもこんだけ店抱えてるのに無理です。と言ったら、

「入院しないと、正直半年生きられないと思います。」

とか真顔で言われたもんだからだいぶビビった。

全く予想だにしてなかった結末だった。しかも、何やら人生そのものが終わってしまいそうなピンチを迎えているらしい。

まるで自分の事のような気がしなかった。テレビかなんかを観ている気がした。

しかし俺は、すぐには入院できない。色々やらなきゃいけない事があるからと伝えた。

医者は、ではとりあえず本日夜には入院できるように準備してきてくださいと言ってきたから、わかりました、0時位にゃ戻りますと。

点滴を射って栄養補給したあと、嫁に電話して入院の準備をしてもらい、親にちょっとピンチだって事を伝え、オーナーの家に向かって医者に言われた事を説明。入院しないと僕死んじゃうと。

オーナーは意外にもこの病気の事に詳しかった。とりあえず今後の事を話し合い、退院は間違いなくかなり先になるだろうから、夜の店は幼なじみに任せて昼の店は閉める事になった。

軌道に乗っていたのにと悔やんだが仕方ない。まだ自分がピンチだという実感が希薄だった俺はこれまで頑張った店が、また自分のせいでなくなってしまうのが本気で悔しかった。

全ての引き継ぎを終えて、ようやく夜中の11時位に久し振りに家に帰り、風呂に入って荷物を持ってすぐ病院へとんぼ返り。
病院に着いたら手続きはとりあえず明日の朝にしようということで、すぐに個室へ連れていかれた。そして三分くらいで寝た。

それが辛い闘病生活の始まりだった。


戻る